柵原鉱山今昔

難しい話は専門家にまかせ、硫化鉄鉱の柵原鉱床が出来たのは、今から約2億年前のことです 

この頃の柵原はまだ海の底にあり、海底火山が活発に活動していました その後地殻変動で、

海底が盛り上がりました  (柵原鉱山資料館) 時は流れ、慶長年間(1596〜1614年)津山城

築城の石材収集中に褐鉄鉱を発見 これが柵原鉱山の始まりです 75年の長きに渡り良質の

硫化鉄鉱の生産量、東洋一を誇り、30年代・40年代には、従業員3000人を擁し、わが世の春

を謳歌していましたが石油の出現と外国からの安価な硫化鉄鉱の輸入等で多量の埋蔵量がある

にもかかわらず、平成3年 終掘しました しかしその後でも、『鉱水の処理』のため、多額なお金を

使い綺麗な吉井川をまもる、自然環境に対する配慮は誰でもができることではありません 

今そのノウハウが各所で評判になり鉄鉱でなく環境保全の分野に生かされています また1400km

ある坑道の有効利用も10年前から実施していますが、『ハイポキマイン・走路・やなはら』や『坑道

農業』も今や全国に知られるところとなりました 昨年11月24日には『片鉄ロマン街道』(サイクリ

ング・ロード)が柵原から片上まで 完成し、サイクリングを楽しむ人々が春の訪れとともに増加して

くると思われます そのサイクリング・ロードが来年の岡山国体の自転車競技の 観覧席になる

という話も嬉しい限りです 長嶋氏の言葉を借りれば、『柵原鉱山』・『片鉄』は永遠に不滅です

柵原ふれあい鉱山公園と鉱山資料館

パカッ(鉱石が割れる様を表現したもの)
彫刻家寺田武弘氏作

中央竪坑
柵原鉱山のシンボル 毎月1日・15日、日没後から午後9時頃までライトアップされます

中央竪坑のライトアップ

縦横無尽に走っている坑道とオレンジ色は硫化鉄鉱の鉱脈      資料館

吉ヶ原駅舎(昔のままです)

マニア垂涎の珍しい列車だそうです

高瀬舟


昔はこの舟で片上港まで運んだそうです そういえば母も女学校の修学旅行

は行きは舟で下り、帰りは皆で引っ張って帰ったと言う話をしていました

坑道の長さ1400km  
                      答 @                    資料館

坑道の深さ1010m
                        答 B                    資料館


                4本足のテレビ(相撲放映中)

            バー

                 ホルモン屋

                 供給所(今のスーパー)
           廉くて品ぞろいは県下で1番でした

                                 昭和35年頃の様子                                 

ハイポキマイン・走路・やなはら


全長42.195m(マラソンコースの1/1000)の低酸素トレーニング走路で、標高1000mから3500mの高地の


高酸素環境を再現することができる 岩肌だけでなく、高原の絵か写真が走者と一緒に走るようなものになれば


ますますトレーニング効果が出るように思うのですが・・・・(表現がまずいが) 将来的には500mの走路の完成を


目指しているそうです ちなみにハイポキマインを日本語で言うと『低酸素の坑道』です

走路(入口から奥に向かって)


                  坑道農業

                   架台(なぜか虫取りが・・・)

                    ウド

                    まいたけ

                     椎茸

                 黄ニラ(出荷も終わりこれだけでした)


                   ワイン

               ある酒造メーカーの3年貯蔵清酒


その他サツマイモなど農作物が貯蔵されていた


                 片鉄ロマン街道  岡山県東備地方振興局

柵原側スタート地点

 

 

 

 

 

 


 

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